大光山 霊源寺



印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |


大光山霊源寺 Last Updated 2012-04-22



霊源寺納骨堂 博眞閣の動画公開

当山副住職が企画・撮影・編集されました。
年中行事などもお知らせしていきたいものです。

合掌、聖号十念

霊源寺斎場詳細は画像を押下ください
霊源寺斎場 使用料改定のお知らせ

よりお使いいただき易いよう使用料を改定いたしました。
お通夜、告別式には1階本堂、2階客殿、斎場前受付や
初七日後の精進落しも2階客殿を従来通りご利用できます。
ご要望やご質問などあれば寺務所までご連絡ください。

人のこの世は長くして 変わらぬ春と思いしに
無常の風はへだてなく はかなき夢となりにけり

熱き涙の真心を 御霊の前に捧げつつ
ありしあの日の思い出に 面影しのぶも悲しけれ

されど仏の御光に 摂取されゆく身にあれば
思いわずらうこともなく とこしえかけて安からん
~光明摂取和讃~

合掌、聖号十念

博眞閣詳細は画像を押下ください
霊源寺納骨堂 博眞閣の御案内

郷里やご子孫の事
様々な事情で【供養】といったものが難しく思われる様になりました。
【供養】とは亡き人のよろこぶ生きかた、人々を想える生きかたであり、
法然上人はそれを【おかげさま】という言葉であるとお説きになりました。
その言葉を胸に持ち日々を暮らす事こそ【供養】であり、
當山の博眞閣がその一助となれることを願うものです。

生けらば念仏の功つもり
死なば浄土に参りなん
とてもかくてもこの世には
思い煩うことぞなき
~法然上人行状絵図より~

合掌、聖号十念


品川区荏原。
この地域一帯は、古来、戦場ヶ原と称せられ、戦国時代はしばしば戦場となり、戦死や疫病による死者の遺体が散乱していたと伝えられています。

江戸時代初期、浄土宗の僧、林譽霊源和尚はこの地帯を行脚され、遺体を集めて浄梵供養し、堂宇を建立され、その号を「諸宗山霊源寺」としました。

その後、本堂裏山において火葬が行われ、「荼毘寺」「火葬寺」「無縁寺」として伝承されてきましたが、大正の初期、その職務を東京博善株式会社に譲渡し、その地は現在の桐ヶ谷斎場となっています。

昭和元年、渡辺眞海上人が住職となり、以降は法縁の新谷寛應上人、渡辺眞澄上人が住職を継ぎ、昭和58年、渡辺眞海上人の弟子にあたる太田隆賢上人が住職となりました。

この時に、老朽化した本堂客殿が新築され、現在の姿となり、現住職の太田眞琴上人へと受け継がれています。境内には、歴代上人の墳墓、ならびに無縁万霊供養塔があります。

ENTER